小さなあたまで大さわぎ

不安障害(不安神経症)パニック障害とうつの記録。

神経症(ノイローゼ)になりやすい気質かどうか自己観察してみる

こんにちは、ひかりです。

いろいろなところ(サイトや本)で神経症(はノイローゼとも言う。昔はノイローゼと言われていた)はどういう病気でどういう人がなりやすいです、というのがある。

わかる人にはわかるだろうけれど、どこのもかしこのも「自分はあてはまる」か、もしくは「自分はあてはまるような気がする」

 

だからって、これはもうどうしようもない。

なぜなら、気質だから。

まさしくわたしもどんぴしゃな性格で、まさしく神経症になったわけだけど、これは(なりやすいという気質もろもろを差す)治そう治そうとするのではなくて、

 

「わたしはこういう性格傾向がありますね」

と開き直るのが正解だと思う、思えるようにやっとなった。

 

 

神経症などに罹ってしまって困っているのだったらよけいに「自覚」していくことで、実は道が見えてくると思ったりするようになりました。

 

認知行動療法の内面からのアプローチ入門編のドアの入り口に立ちましたくらいな感じでしょうか。

神経症(ノイローゼ)になりやすい気質かどうか自己観察してみる

 その気質もろもろは、神経質という言葉で要約されてしまうのだけど、

4つの性格傾向としては、

1.わがまま・欲が深い・自我が強い・向上心が強い

2.自己内省的・意識的・理知的・理屈っぽい

3.感受性が強い・繊細・神経質・神経過敏

4.執着性が強い・完全主義的傾向

 

これらが、うまく「なく」組み合わさった場合に神経症になりやすいといわれています。

 

この4つの要素があって、さらに組み合わせてできたのが自分ぽいと思える場合は、その困ってる症状が神経症的な原因から来ている可能性があるかもしれないということです(ていうようなことを読んですぐに深刻にとらえてしまうのも、神経質の特徴のひとつ)。

 

考えるタイプの人

わたしが前からちょっと思っている頭の中の処理の傾向に神経症的なものが隠れているんじゃないかというのを書いてみます。

 

あくまでも個人的な見解で、おおざっぱに言うと「考える人」です(「そりゃあ、考えすぎだよ」と言われたことのある人の多く)。

 

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頭の中のイメージ図(カリフラワー状態と表現する人もいた)。

 

 

何十年か経ち、考えたり考えなかったりするコントロールも結局は心の力かもしれないと思いつきました。どんどん迷宮のように「考えて考えて考える」タイプの人がやはり神経的に参りやすい、きっかけができやすいのではないかと。ただ、参るというのが心の防御本能だったりして、それがお休みしなさいという合図かもしれないとも思いますが。

 

ずっっっっと考えることができるのは、よい方向へ生かすことができれば、思考の人、思索の人、考え「られる」人で、哲学者や研究者、プログラマー、教育者、先見の天才などなどあらゆる知の世界の優秀な人材となるでしょう。

が、これが負の方向へ生かしてしまうと、神経症(ノイローゼ)になりやすいんじゃないかと。

 

昔々、友人に(なにかで相談のようなものに乗ってもらっているかいないかのとき)、

「あたし〜10分以上、同じこと考え続けらんないのよ〜」と言われたとき、人間にはそういう種類がいるのだと知って度肝を抜かれた(超びっくりした)のを覚えている。というか一生忘れられない。

本当かどうかはともかく(たぶん、顔つきからして本当だと察した)そういう意見、見解、状態があるのだということ、思いつくということすらにも。

ひたすら悩み苦しみ続ける「ことができる」「せざるを得ない(場合含む)」わたしなんかは、逆に彼女にとっては超めんどくさい、うざったい脳みそ(友人)だったかもしれないです。

 ほどほどのアイドリング状態の脳

 ほどほどというのが一番で、めだたないけれど、自然で力が入っていないほほえみのイメージ。そういう心の状態が、安心・安全・幸福に近いような気がするのは、こうした考えすぎる世界をいやと言うほど経験してきているからそう思うのかもしれないです。

 

下に紹介したのは、そういう純粋観念の世界を見てしまったような衝撃を受けた本。

 

この本が良い悪いではなくて、こういう風に思考していくという芸術があるんだと非常におののいた記憶があって、見てはいけない世界、踏み込んではいけない世界、カリフラワーの深部の物語という感じだった。みすず書房は怖いというトラウマが生まれた(もちろん冗談です)。

 

人間は千差万別なので(独断と偏見です)グラデーション的に、「考える」ということに関しても強弱・長短時間があるでしょうから、そういう傾向を自分でつかんでおくといいのかもしれない。

 

じゃあね、ぱっと悩みを捨てましょうというのではなくて、あくまでも、自覚しておくことだけで、森田療法のいうところの「あるがまま」に近いあきらめというか開き直りというかのとっかかりにはなるかもしれない。