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小さなあたまで大さわぎ

不安障害(不安神経症)パニック障害とうつの記録。

寝たきりになれない寝たきり生活。

こんにちは、ひかりです。

 

大きなパニック発作で倒れて、その後、どきどきどきが取れなくなってしまい、緊張しっぱなしの心身になってしまい、心療内科で診てもらって家でしっかりと寝ていてくださいと言われた。

じっとしていられない焦燥感

寝ていられない。落ち着かない。

もうこのままどこへも行けなくなってしまうのではないだろうか。

一生、このままつらい症状のまま生きていくのだろうか。

食べていけない。

生きていけない。

あせりが心の底からむくむくとわき上がってきて、なにがなんでも寝ていられない。

そして、なにをしたかというと、

出かけた。

歩いて。

洋服を着て、バッグを持って、真夏の真昼の炎天下、出かけた。

 

母が心配して一緒についてきてくれた。

 

「わたしは大丈夫だと思う?」

「大丈夫よ」

「バスに乗ったりできると思う?」(電車に乗る勇気はなかった)

「大丈夫よ」

 

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そして、バスが来て、わたしは乗れなかった。

 

家に帰って、なにもよくなっていない(当たり前だ)と落ち込み、嘆いた。

 

休もうとしていない

 わたしはまったく「休む」ということがどういうことかわかっていなかった。

実は、いまでもそういうコトがヘタだ。

最近、本当につい最近になって、休む(積極的、自発的なリラックス)というのは通常、人間にはあまり備わっていないものなのかもしれないと発見した。

朝、目が覚めると、人間は活動するようにできているのだ。

動かないではいられないという本能(宿命)を持っている。

だから

なんか動きたい。

というのが人間の本来の姿。

一方では、楽をしたい(いつまでも寝ていたいとか出かけたくないとか、〜したくないとか)のも本能。

つらいことがあると動きを止めて(都合が良いことや好きなことは案外やれるのはこのせいだ)停滞したいと思う。

両方とも人間に本来ある本能。だとして、

これが適宜(欲望とか理性とかのせめぎあいで勝ったり負けたりして)行動を決めていく。とすると、

 それが、本来の健康なそこそこの人の状態だとして、この場合はそれがひっくり返っている。のじゃないかと。

一回転、ねじれている。やることが矛盾している。感じ。

具合が悪いから、動くのが怖い。それをなくそうなくそう動けるようにしようと具合が悪いのに(素直に休もうとしないで)歩き回ったりする。

自分はつらくて本当はやりたくないのか、やりたいのか、もうわからなくなっている。

それもあって、いてもたってもいられない状況、よく森田療法の本などで体験者が、野山をかけずり回りたくなるとか、暴れ回るとかあるが、そういう感じにちかいのじゃないだろうかと思った。そういうところがあって、あとで読んでなるほどこれだ、と思った。

 いてもたってもいられないというのは、この状態のなかにものすごく葛藤を抱えているからだと思った。

それから、もうひとつは、こういう具合の悪い状態が(こんなになっても驚くべきことに)「あってはならない」、「元気に普通にならなければならない」「仕事に出かけなければならない」「ちゃんとしなければならない」と知性で乗り越えようとしていることだ。ここでも不可能(いま具合が悪いんだから)を可能(元気)にしたいという無理なことをしようとする大きな葛藤がある。

森田療法では、「思想の矛盾」という言い方をしています。

www.mental-health.org

自分のことが、病気の仕組みが、ぜんぜんわかっていないということです。

 でも、そんなことはいくら本を読んでも(こんなことになる前にちらっと読んでいても)頭に心に入っていません。わかってないのです。

そうして、症状の苦痛と、精神的な苦痛がマックスになった。

わたしはかなり本気で「精神病になる」と思っていた。

これは、普通じゃないと感じていた。

そして、何日か過ぎ、夜の早いうち、確か8時から11時くらいまでの間、いっときすーっと楽になる時間があるのに気づいた。

いま思い返してみると、自律神経のうちの交感神経(しゃきっとしているために働いている自律神経)が副交感神経(リラックスモードに心身を整えて、休息させていくための自律神経)と交代するタイミングの時間帯だったような気がする。そのせいかどうか、その時間になるとすっきりして少し気分が楽になった。

そのときに、毎日、考えた。

わたしはまだこうしてものが考えられている、ほっとしている、だから、まともになるときだってあるのだ。

このどきどきどきどきが収まっていって、楽になっていくかもしれないと思えるひとときができてきた。