小さなあたまで大さわぎ

不安障害(不安神経症)パニック障害とうつの記録。

パニック障害と全般性不安障害(不安神経症)寝たきり生活の中での変化。

こんにちは、ひかりです。

大パニック発作から寝たきり生活になって、つらい症状ながらも少しずつ自分のことを考えられるようになっていった。

具合が悪いことに慣れていく

それは、たぶん症状に慣れてきたのもあるだろうし、薬が効いてきて(やっと)それなりに少しずつ眠れるようになったり、それなりに休めるようになっていったからだと思う。

この経過はほんの少しずつなので、自分では見逃してしまい、いつまでもすんごく悪い状態だと思い込んでいた。

半年くらい経って、「編み物の毛糸を自分で見に行きたい」という欲求が出てきて、小さなショッピングセンターにある手芸屋さんに車で連れて行ってもらうようになった。

最初に行くときにはどきどきはひどくてスーパーに行っても手芸屋さんへしか行かず、あとは車で家族が戻ってくるのを待っているのだった。それも誰かが付き添ってくれている。

まったく迷惑をかけっぱなしだった。それはずっと続くので(家族はかわいそうだと思ってくれていたのだった。森田療法のように厳しくなかったので、森田療法はそうじゃない、とは言えず黙って甘えていた)わたしは復活の機会を自分から後回しにし続けていたと思う。

ただ、あれだけのひどい状態では、あのまま「野放し」にされたら壊れてしまうだろうと思う(壊れていたんだけど)。

森田正馬先生がそばにいるのだったらどうかわからないが、あれだけの療法を自宅に入院させてやりとげてしまう森田正馬の力量はものすごいものがあるのだろうと想像した。

 

森田療法が治療方法の希望だったのだけれど、結局、森田療法とは真逆の状況になっているのだった。森田療法とは、

www.mental-health.org

一冊目はわかりやすくて家族にもおすすめで、二冊目もわかりやすいですが、もう少しつっこんでいろいろな神経症(不安神経症だけではなく強迫性障害なども)と森田療法について説明されている本です。この本を読んでみて、もしかしたら自分に合ってるかもしれないとピンときたら合っているのだと思います。読むだけで気が楽になるならバッチリだと思います。わたしのそのときの状況は、森田療法とはほど遠く、むしろ真逆になってしまっていながらなんなのですが。。。二冊とも同じ著者です。慈恵医大出身の医師。

慈恵医大には森田療法センターというのがあります。森田正馬が近しい関係で森田療法の総本山のようなところみたいです。歴代の森田療法の医者も慈恵医大が多い。

 

森田療法センター|東京慈恵会医科大学附属第三病院

ここの参考図書もあります。

 (患者の状態によって、治療方針は違うというようなことは最初に先生から聞いていたので、わたしの場合は森田療法はお預けの状態でしたが、この後に落ち着いてからじっくりあるがままと格闘していくことになります)

新時代の森田療法―入院療法最新ガイド

新時代の森田療法―入院療法最新ガイド

  • 作者:慈恵医大森田療法センター
  • 出版社:白揚社
  • 発売日: 2007-06
 

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スーパーに行って手芸屋さんへ行って、自分で糸を見たり買ったり(そのうちに予約したりできるようになった。本も自分で選んで買えるようになった)そのことがものすごく大変だったけど、ものすごく嬉しかった。

いつも病院へ車で連れて行ってもらう途中に電車の駅があり、そこはわたしが一歩も動けなくなってしまった駅で、駅前の広場に人々がたくさんいて、その前を通過する度に、

いつかわたしもあの人たちのように駅の広場を歩ける日が来るのだろうか

と思っていたのを痛烈に覚えている。別世界のように見えていた。

それが、スーパーを歩けるようになった。

少しだけ、気持ちが外を向いたような気がした。

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ああしたいこうしたいという気持ちはそうそう出てこないのだけど、少し外向きになると、こんどは焦りが出てきた。

このままではいけない

なんとかしなければいけない。

誰かに話を聞いてもらいたいという気持ちがあった。

聞いてもらったからといって、具合が良くなるかどうかはともかく、このままの状態とこのままの気持ちを抱えているのが苦しかった。

そういう気持ちは前からあったのだと思う。河合隼雄さんやユングやなんやかやを読んだりしていた(倒れる前)のだけど、こういうことだったのかと実感が沸いた。

カウンセリングを受けてみたい。

 あまりにできすぎているようでいまなら笑っちゃうようなことなのだけど、ちょうどまさしくわたしのちょっと関わりのあるところにカウンセラーの人がいた。

カウンセリングを受けてみたい

パニック障害と不安神経症の場合、カウンセリングを受けたいと思ったとして、どうしているのだろう、と自分がまさにそうだった(悩み苦しんだ)のでいまさらながら思う。

だって、人見知りだったり、不安を抱えていたり、パニックになりやすかったりするのだから、初めてのことは基本的に「すごくイヤ」だ。安心していたい、ということは「いつもと同じがスキ」

気持ち的にも話をするのもしんどい状態なのだから。

それでも、話を聞いてもらいたい、なんとかこの状態を変えるなにかが欲しい。アドバイス?優しい言葉?包んでくれる何か?

何か新しいことを始めるのは非常に大変なことだから、「よっぽどのこと」がないと動かない。

このときに、手芸屋さんへ通うことができている自分(家族に連れて行ってもらっているのだけど、この際なんでもいいから)がとても後押しした。

このままではイヤだ、なんとかしたい、誰かに話を聞いてもらいたい。でも、カウンセリングは怖い。だいいち、出かけられない。

この大きな葛藤をひと月以上繰り返し蒸し返した末に、知り合いの知り合いに聞いて、連絡することができた。

そして、通えないなら電話でいいと言ってくれて、カウンセリングをしてもらえることになった。

ほぼ知らない人といきなり会わずに話をする。

それはそれは大変だったし、さらに、カウンセリングというのはいまでもそうだと思うのだけど、保険が利かない、そして高額だ。高額というのが人それぞれでどの程度が高額かも違うのだろうけど、少なくとも無職のわたしには大変厳しかった。

それでも、受けたいと思った。「わらにもすがる思い」のまさにカウンセリングは「わら」だった。

 倒れる前には仕事先ですれ違うか、挨拶程度だったその先生は、声がとてもやさしいトーンで安心できた。

ただ、こうしたセッションがうまくいくかどうかは、人と人だと思うので、できたら一人に決めないで、合う人が見つかるまで探すか(めげないで)、トライアルセッションのようなものがあればいいと思う。

わたしがカウンセリングを受けたいと思ったのは、ひとつには、心療内科の診察ではこういうことになった(パニック障害とか不安神経症で寝ていないといけないくらいになった、また出かけられないくらいになった)根本の理由について話したり相談したり、アドバイスをもらったりすることはできないとわかったからだった。

心療内科は森田療法の先生だったので、だから、症状のことのみのやりとりで、精神分析のようなことは一切なかったのかもしれず、特別な状況だったのかもしれない。ほかの先生にかかっていないのでわからない。

でも、診療時間では切り出せないことばかりで、あ〜これって症状の経過観察だけなのだなあと思い、新たな迷宮に入り始めたような漠然とした診察自体に対する不安感が芽生えてきていた。

 ただし、いま思えばだけど、

「悩み方が足りない」と言った先生であるからして、あくまでも自己内省を促す、そして自分で問題を解決していくのだよ、というスタンスだったのだと思う。

ただし、そのときのわたしにはその考え、治療方針は荷が重すぎた。

「わら」が欲しかった。