小さなあたまで大さわぎ

不安障害(不安神経症)パニック障害とうつの記録。

神経症にうつが加わる、その相互作用による葛藤と気づき(自己流認知行動療法)。

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こんにちは、ひかりです。

 

不安神経症での闘病生活がだんだんとそれなりに規則正しくなっていって、慣れてきたとして、じゃあ、心はしっかりと休めたでしょうし、そろそろなにか復活のきざしが見えてきました。

というようなことはまったくなく、スムーズに上向いてはくれませんでした。

ここでは、神経症になってさらにうつを発症した状態のことを書きます。単品というかうつだけの状態とはたぶん違うと思います。ご了承ください。

 

神経症とペアのうつがやっかいな理由

 

自分でもまさか「うつ」になるとは思っていなかったので、先生に

「うつがありますね」

と言われたときには、言われたということがショックで、うつの状態を心配するのを忘れたほど。ショック状態。さらっとこちらにも書きました。

hikary.hatenablog.com

元々、明るい活発な性格(の部分もあったにせよ、大人になるにつれて影を潜め)というよりは、考え込みがちでおとなしいタイプだったので、「うつ」なんてことが仮にあったとしても、周りはだれも気づかない。

 同居している家族にさえも、不安神経症などを持っている状態だと「うつ」が発症していることは非常にわかりにくかったと思います。

家族としては、おまえはいま具合が悪くて休んでいる(ペースを落として生活している)のだから、おとなしくなってるのも当たり前。ゆっくりと休んでください。

もしくは自分に対してこういった感じのことを思う「いま具合が悪いのだから、元気がなくて当たり前、ゆっくり休もう」。

自分でも発見しにくい。

ところが、自覚もなくて、家族にもわからなければ、どうなるかというと、ただひたすら落ち込んでいって憂鬱になっていくことになります。

落ち込みやいわゆる抑うつ状態にまでなっていくと、もうやる気が失せて、だらしなく、限りなくだらだらとするようになり、心がどよんとしてどうでもよくなるのがわたしの状況でした。

だいたいそれでなくても不安神経症で、低めの精神状態で、不安なのが基本にありますから、もうこれ以上どうやったら落ち込めるのだろうと思いきや、まだまだ穴には奥がありました。

なにかができなくて苦しいのではない

「なにもしないでただひたすら休む」ことができず、かといって、なにもやる気にはならず。

そう、うつの状態は、その状態そのものがものすごく苦しいのです。これは、なにかができなくてだから苦しい、とか、なにかしようと思わなくなってしまってつらい、とかそういう具体的なことよりも、そのどっちを考えても苦しい、どっちみち苦しい、どうしようもこうしようも、なにをしようともしなくとも苦しい状態なのです。この苦しいのが苦しい。

だからいわば底なしの苦しさですが、見た目にはゆううつな感じとしか映りません。

本人はものすごくもだえ苦しんでいる。ただの、気持ちが落ち込んでいるというのとは違う、非常にやっかいな葛藤がありました。

これは、もしかしたらですが、神経症にうつが加わったときに強くなりやすい葛藤かなとも思います。純うつ(勝手に作った言葉。純粋なうつ)のようなときにはどうなのかがわからないのですが。

うつだと知って

 

先生から、うつもあると言われて、一週間くらい経ったとき、突然、

「あ〜わたしはうつもあったんだ」

と納得できました。もうなにか防御するようなものもなにもないような元気ない状態でした。

なにかが腹にストンと落っこちた感じでした。腑に落ちたっていうのがピッタリです。

そうすると、いろいろなことにつじつまが合ってきました。

あ〜だから、やる気がなかったのね、言われることがいちいち気になったり、悪い方に取る感じだったのねと思えました。

ホッとしたのでした。悪いことをしたのが見つかって、白状したときのような(わからないけど)さっぱりした気分。

その後、何年も神経症とうつは共存していくのですが、それでもひどい葛藤からはじょじょに抜けることができるようになっていきました。

いわばじたばたしても(この件に関しては。他のことに関しては相変わらずじたばたしていた)しょうがない、うつはうつ、神経症は神経症、このまま抱えていくしかない。

どうにでもしてちょ

これは、うつの状態を少し客観的に見ることができたのかもしれなくて(今で言う認知のような感じ)、その後、落ち込み速度が止まり、ふたたび低めですが、安定した日々になっていきました。

そのあと、その状態キープがうまくいくと、さらにすこし客観的に自分を観察しているのに気づき、外側へ心がシフトしていって、「うつ」から少しグラデーションの薄い部分へ移っていったような気がします。

 

が、これは、非常に繊細でかすかな心の動きの変化なのと、ものすごく少しずつなので、もちろんスムーズではないし、安らかでもありませんでした。

でも(二重に否定してしまいますが)、それでも少しずつ良くなっていってるじゃないかと何年もかけて、じわじわと実感してきていました。

気持ちが下向く気分が突然起こる

ただ、だいぶ活動できるようになってきてからも、このしぶとい抑うつ気分が抜けなくて、それは、

突然、やる気がなくなるとか、突然、気分が落ち込む、その急降下が頻繁に起きていたことがありました(大きなものではなく、ちょいちょい顔を出す感じ)。

しぶとく心を観察していると、「たぶん誰もが」感じているささいな心の動きのような感じです。それを神経質に!いちいち取り上げて(そのままにしておけばいいものを)、

あ〜こんなんではダメだ、いい気分ではない、良くなっていない。

とだめ出ししたり、批判したりして反応しているのでした。

 

・この方の本は何冊か読みました。どれも、実践的で「処世的」に役に立つと思いました。病気までいかないけれど、世の中や人の動作・言動、そして自分の気分・感情にまで反応しすぎてつまずいてしまう繊細なタイプに人にいいと思いました(わたし)ので載せておきます。

 

自分のなかのコロコロと変わる(はずの)気分や感情の、特に「よくない」と自分で思われたところに目をつけて、注目し、固定してあれやこれやとこねくり回してふさぎ込みを大きくしていくのでした。

神経症が主な症状で、心の大半を陣取っている状態なので、これが手強くて、性格もありますが、すぐに自分を責めてしまう方へ考えが泳ぎます。

 

・この方の本も何冊か読んでいます。寄り添うような感じで読みやすく理解しやすい、実行しやすい、考え方を変えていける感じがする書き方です。弱っているときに特におすすめです。わかりやすい文章なので、さらっと読めてしまいますが、かなり深いことも書いていますので、節目節目(落ち込んだときとか)で読み直していくといい感じがします。

コツコツ地味に自分の心に気づく

「自分はなんてダメな人間なんだ」という気持ち、気分、感情がわき上がってくるのをすかさずチェックしまくる、監視していくことにしました。

実際は、チェックしまくるなんてことはできません。でも、チェックしまくることにしました、という宣言(自分のなかでだけですが)がだんだんと心にしみ込んでいって、なんとなく意識できるようになっていきました。

性格、考え方のクセだから、一生変わらないかもしれない、ダメだと自分を責め続けるのかもしれない。しょうがない、それでもわたしはそれをチェックしまくろう。

それを地道にこつこつ続けていき、やがて、そういうこと(自分をいちいち責めて生きていくこと)は非常にばかばかしいことだと気づくようになりました。

これは、本などには書かれていても読んですぐにわかるはずもなく、実際に体験していくなかでしか体得できないのですが、ほんとうに少しずつ、自分が自分をダメにしているということに気づき始めました。ほんの少しずつ。

ばかばかしいから、これだけ(自己否定)でもやめたいなあ、と思い始めてじょじょに気持ちが変わっていきました。

もちろん、自己肯定がばっちりになった、のではなくて、自分をちっとも認めていないということを認めたということです。

非常に消極的なように聞こえますが、実は、これを通過しないと自己肯定するようにはなれないのだと思っています。

もともと自己肯定感がしっかりあった人がなにかのきっかけで「うつ」になったのだったら、それも可能だと思いますが、わたしのように最初からフラフラ自分というものをしっかり持っていなかった不安定な心の持ち主には、まず、この肯定していませんね、という段階を認識することが肝心だと実感しています。

土台、基礎固めですね。

この地道な作業がとても大事でした。いまでも続けています。もちろん。

そして、これはセルフカウンセリングに近い、認知行動療法に近いと思います。

でも一番の功績は、自分で発見して自分で開発して自分で実践していって実際に効果があったということだと思います。まだまだ途中ですが。。。